山
山に登ることが好きだ。
正確には最近好きになってきた。
山はすごい。登ることで嫌なことも悲しいことも辛いことも忘れてしまう。多分体力のない私は登ることで精一杯になるので、それどころじゃなくなっているのだと思う。とは登っている間に考えることは、下山後のご飯とお酒、温泉のことばかりだ。もはやそれらがなければ私の気力なんてひとえに風の前の塵に同じである。
一歩進んで、ビールのため
一歩進んで、餃子のため
一歩進んで、源泉掛け流し*1
山に登ると先輩がよく言うことがある。
大変な道程を登った後、自分になんだか勝てたような気がする。登るのも降りるのもできないなら、置いていかれるだけ。*2
この言葉を聞いた時、えっ置いてかれるの?待って待ってやばいどうしようもう辛いと軽くパニック状態だった。今聞いたら多分「ですよねー」って言える。自己責任だもん。
今年は何処の山へ行こうかな。
多分何処にでもいけるし、どうにでもなる。
こんにちは山の神様の100年なんて知らないが
女ですか?男ですか?どちらでも良い
ちょっといいはなし
こんな話を聞いた。
先生がまだ片田舎の農業高校で世界史を教えていた時のことだ。
「俺ァ、族に入ってってから、つよいんだぜ」
「学校なんてつまんねーぜ」
「女の子にモテたいぜ」
「俺たちに先生なんていらねーぜ」
髪の毛は千紫万紅といえば聞こえは良いが、赤・黄・緑で信号が出来てしまったり、真緑でインコもびっくりしてしまうような色ばかりに染められていたそう。そして、揃いも揃ってアホらしい。先生曰く「馬鹿といっても良いけど、そんな風には思えなかったな〜。なんか可愛くてさあ。」…だそうである。
農業高校と言えば、実習がある。実習といっても、《果物を育てましょう》という難易度で言えばやさしい実習である。しかし、ヤンキーたちはその実習が嫌で嫌で本当に嫌で仕方がない。というのも、夏休みになろうが空から槍が降ってこようが学校まで水やりに来なければならないからだ。
「俺ァ、族に入ってっから、ムリだぜ」
「学校も休みだぜ」
「水やりで女の子にモテないぜ」
「俺たちに水やりなんて必要ねーぜ」
勿論、ブーイングの嵐。ふてくされる面々。
しかし何と言っても農業高校であるため、実習は必修科目だ。他の科目なら目を瞑ってやることもできるが、実習はそうはいかないらしい。仕方がなく、各自で好きな果物を選ぶ。
揉めると思いきや、すんなり決まった。皆、何故かメロンで意見が一致した。先生曰く「どうせ育てるなら大きなメロンだろって。テッペンとりいく気持ちで育てるって。すいかでも良いじゃんねえ」らしい。
すぐにメロンを育てる実習が始まった。
実習が始まってから大変だったそうな。
台風でビニールハウスがやられてしまったり、バイクで事故ったやつがいたり。それでも、皆、実になったあの、プリプリのメロンを見るために頑張って育てた。そんなある日、札付きの悪で知られたテンプレヤンキーが先生のもとへ寄って来た。
「おい。」
「…。」
「せんせえ」
「どうしたの?」
「せんせえ、あのよ、め、メロンの花が咲いたあ。こんなちっさいの」
先生はとても喜んだ。メロンの、ふかふかの、そしてつやつやの花に気付いたことに。
「メロン、できたらどうするの?」
「ばあちゃんに見せる」
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「土を触ると優しくなる。あー、もしかしたら、なんか殻のようなものが割れてもともと備わっていた優しさへ戻っていくのかもなあ。」
「先生、それで、メロンはどうなったんですか?」
「うーん、続きはまた今度おしえてあげるよ。」
「えー」
先生は莞爾として笑った。
その後、私は続きを聞くことなく卒業してしまった。何故こんなことを書いたのかというと、自宅のポストに先生が亡くなった旨のハガキが届いていて、それでふいにこんなことを思い出した。メロンが実になり、ばあちゃんに見せることができたのかは知らない。
でも、できていたら良いなあ、無事に見せることができていれば良いなあと願わずにはいられないよ、先生。
*1:ヤンキーたちの言葉より
川
最近、川を見ることにはまっている。
通勤電車に揺られながら、車窓の外へ目をやると川があった。というか、そこにずっと'居た'という感じだった。懐かしい、暖かい気持ちになった。
川は、ゆったりとゆらゆらと流れていた。
ただただ、流れていた。きっと何百年前も何百年後も変わらずにそこにあり続ける川。私たちの都合で浚渫されちゃう川。ちょぴり切なさを感じる。なんとなく人間に近いような気がする。
心身ともに疲れ切っていた私は、川が変わらずに川であり続けるのがなんだか凄いことで、なんて美しいのだろうと思った。(拙い駄洒落までこしらえてしまい、にまにました)
朝日が差し込み、水面がきらきらさらさらと流れ続ける。ああ、生きていて良かったと感じた。汚さや醜さを受け入れ、洗い流してくれるような川。ああ、鴨長明。方丈記。
そんなこんなで川を見ることが好きなった。暖かくなったら川べりを散歩したい。
行く川を浚渫せよと生き急ぎ 立ち止まり探すのも良いさ同胞(はらから)たちを
さようなら、ほんわかぱっぱ
2000年代からなんだかもやもやしている。
そういってしまうと私の人生の大半はなんだかもやもやしながら、労働労働睡眠労働睡眠酒池肉林している訳だが。
何故もやもやしているのかというと子供の頃に感じていた2000年代というものが、きらきらして身に迫る〈未来〉だったからだと思うのだ。
奇妙 奇天烈 まか不思議
奇想天外 四捨五入
デマエ ジンソク ラクガキ ムヨウ
ドラえもん ドラえもん
ほんわかパッパ ほんわかパッパ ドラえもん
ドラえもん ドラえもん
ほんわかパッパ ほんわかパッパ どらえもん *1
奇妙奇天烈摩訶不思議でほんわかぱっぱな〈未来〉に心のどこかで憧れてたのだと思う。でもそんな気持ちも2000年を過ぎた頃から、よく分からないがどこかへ置いてきてしまった気がする。
もう二十一世紀なんだ。
そかそか。
うん、二十一世紀なんだ。 *2
そうなのだ、今がもうその〈未来〉になってしまっているのだ。どこかに置いてきたわけではない。認識しなければならない。辛い怖い震える、さむい。
今が将来なんだから、僕は将来の心配なんてしなくていいんだ。*3
わあ、どうしよう。と思う。でも、思うだけ。ああ、ほんわかぱっぱと思いながら、今後が心配になる。おかしい。
NO FUTURE NO CRY
未来はないけど泣いちゃだめさ *4
未来なんてないとか言っちゃってる。 ああ。ああ。皆、色んなことを言っている。
そういえば、うなだれたpepper君(電源は抜かれている)を暗い場所で見かけてなんとも言えなくなったあの気持ちに近いようなもやもやである。